スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

DESIGN mind

2007年06月10日

Design mind

最近、デザインというものについて考えることが多いです。
私どもがレーベル業務の一環でサウンドデザインという事業を営んでいる
というのがその大きな理由です。。

サウンドデザインについては、ここではそれを述べることはしませんが
今日は「デザイン」という理念について少々思うところを記します。

まず初めに、デザインという考え方の始まりは何だろうか?
これは原研哉の「デザインのデザイン」曰く、
19世紀後半の産業革命の頃に端を発しているようであります。

上の本を信じるのであれば、モリスやラスキンという思想家が、
産業革命以後の機械による大量生産や規格化が引き起こした、
「軽薄な美意識」に抗うことを試みたことが後のデザインという
理念の源泉のようなものになっているのではないかとあります。

例えば、それまでは職人の手作業によって施されてきた仕事が
その工程が機械化されたことによりカタチだけをなぞるようになったことは
現代に生きる私たちにも実感をもって理解することが可能であると思います。

装飾などが美意識に基づいた造形ではなく、
表層的なカタチになってしまったということです。


その後、20世紀初頭には芸術や思想をまたいで様々なスタイルやイデオロギーが
西欧諸国にてまるでモグラ叩きのように登場したわけですが、その多くは
1919年に登場したバウハウスという存在によって整理され、モダンデザインという
一つの大きな理念のようなものに収斂していきます。

20世紀半ば、二度の大戦を終えた世界では急速な経済の発展によりそうように
デザインもまたその在り方を変えてきました。
デザインは、モノに在るものではなく、
デザインは、経営に在るものとなったのです。

モノを売るために、今日あるものを明日古く見せるためのデザイン。
販売促進のための、コミュニケーションツールのデザイン。

言ってみれば、消費者個人、一人ひとりの生を豊かにするためにあるものではなく、
法人がそれ自身のためにデザインを用いるようになったのです。

例えば、考えてみてください。
ここにカッコイイ、携帯電話があります。
当然、デザインにこだわっている携帯電話です。

ただ、この携帯電話は誰のためにカッコイイものになっているのでしょうか。
ユーザーが満足感を得るためなのか、
それともカッコイイものの方が売れるからなのか。

売るために良いものを作るのか、
良いものを作った結果として売れるのか。

最近このようなことを、よく考えております。

で、まぁ結論を申し上げますと
何かをデザインするということは、
実際に売るものだったり、広告をデザインするということではなく
言うならばそのようなモノを媒介して人々の生活に何かを提供すること
そのようなことではないのかなぁと感じております。

上の携帯電話を例にとるならば、
売れるためにカッコイイ携帯電話を販売するのではなく、
ユーザーに満足感を与える、その装置としてカッコイイ携帯電話を作る
このようなことかなと。


さいごに、、
デザインのデザイン/原研哉/岩波書店(ISBN:4-00-024005-6)

  


Posted by CATS HOUSE RECORDS at 22:06Comments(1)ミヤハラコウヘイ